目の前のご飯のこと

 

 

どうも!
盛り塩に凝り出して
とうとう職場の現場にまで置き出して
キモいかもしれないスコウスですが、
なんと!
職場に置いた盛り塩が溶けてしまいました。
本当です。
家でこんな溶けるという状態は無かったのです。
調べるとやはり悪霊がいるらしいです。
社畜霊になんか取り憑かれないぞ!と意気込む
もうすでに社畜のスコウスでした。

 

 

仕事しろ。

 

 

1. 目の前に集中する効果

 

 

「今」に意識を置くと幸せ度が上がるそうです。
つまり今目の前のことだけを考えるようにする。

 

 

例えば食事。
食事中に食事以外のことをすることが
皆さまも多いのではないでしょうか。

 

 

  • 動画を見たり
  • 本を読んだり
  • 音声聞いたり
  • 資料に目を通したり
  • メール見たり・・・

 

 

逆にそうしないと時間が
勿体無い気さえします。
時間を有効に活用できてない自分は嫌。
意識低い系とは呼ばせないぞ!
一石二鳥三鳥四鳥くらいまで
自分の人生を持っていきたい!

 

 

だから食事しながらの読書は必須!
と、こう考えます。

 

 

駄菓子菓子!(だがしかし)

 

 

それでは
「今」「考えてる事」と
「今」「行動している事」
つまり「頭」と「体」が
やってる事違う!

 

違うのです!

 

「あれ?
今、何を飲み込んだ?
どんな味だった?
美味しかったような気がする?
柔らかかったような気がする?」

 

「こっち見なさいよ!
もう!
栄養になんかなってあげないからっ!」

 

こんな声が食材たちから
聞こえて参ります。

 

 

幸せを感じるには
「考えている事」と
「体験している事」が
一致している必要があるのです。

 

 

DA・KA・RA(だから)!

 

 

食事の時は、
目の前のご飯のことを考えると
良いそうです。

 

 

ご飯の時に目の前の
そのご飯の一つ一つに思いを
馳せられることこそが
最高の贅沢であり幸せになる道なのです!

 

 

 

2. 私の食事は幸せか?

 

 

 

例えば、
私の目の前には
今から食べる白ごはんがあります。
その上にはわかめ煮が乗っています。
ご飯がススム奴です。

 

 

このご飯は
お米の時には
どこに居たのか?

 

 

どこで育ったのか?
どこで植えられて
誰に植えられて
どこでスクスクと育ち
誰に育てられて
見守られて
手入れをされて
そして
誰に刈り取られて
誰に精米されて
誰に運ばれて
誰に買われて
誰に洗われて
どのメーカーの炊飯器で炊かれて
どのタッパーに詰められて
この私の目の前に居て
食べられようとしているのか?

 

 

それを思いはせんじるのです!

 

 

三重県産かと。
山と山の谷間の村の
田んぼに植えられたのか?

 

 

おばあちゃんが手で植えたのか?
おじいちゃんが機械で植えたのか?
若い夫婦かもしれない。
最近若い人が田舎に住むから
若妻の手で植えた苗が奇跡的に
私の御膳に並んだのかもしれない。

 

 

そんな奇跡もあるかもしれない。
そう考えると美味しそうに見えてきたぞ。

 

 

かわいい孫が手伝ってくれたかもしれない。
機械でスピーディーにボウリングの玉を
セットするかの如く植えられたかもしれない。

 

 

そして、
稲はすくすくと育ち
稲穂と呼ばれるまでに成長した。

 

 

色んな人が目の前を通り過ぎていく。

 

 

小学生が通学している姿を毎朝眺める。
そのあと中学生、高校生と続く。

 

 

若い学生のカップルが
そんな稲穂の私を隠れ蓑にして
お互いの愛を語り合っていた時もあった。

 

 

変なおっさんが入ってきて
野糞をしていった時もあった。

 

 

天国と地獄だ。
毎日色んなことが
毎日色んな天国と地獄が
目の前を通り過ぎていく。

 

 

色んな人々が色んな日々を稲穂の私に
見せてくれた。目の前で過ぎていく風景。

 

 

ついに秋になった。

 

 

私はすっかり大きくなり
穂をしっかりとつけて食べ頃だ。

 

 

しかし、なかなか狩られない。
なんか珍しい鳥が私を狙って食べに来る。
キジとかいうやつだ。
食べられてたまるか?

 

 

私はあの夏のあの可愛い女の子に
食べられたいのだ。
その高校生くらいの女の子は一人で
おたまじゃくしを探して田んぼにまでやって来た。

 

 

裸足になって田んぼに入って
私の横で止まった。

 

 

居たのだ!
おたまじゃくしが!!

 

 

しかしおたまじゃくしは隠れた。
私の足元に隠れたのだ。

 

 

女の子は私にそっと触って
まるで自分の髪の毛をかき分けるような
そっと柔らかい仕草で私を少し分けて
足元の水の中を見た。

 

 

白い肌。柔らかい手。
私が人間だったら鼻血を出して
気絶していたかもしれない。

 

 

それくらい可愛らしい女の子だった。

 

 

美味しいご飯になって🍚
あの子に食べてもらうんだ。

 

 

あー。

 

稲を刈る機械が回る音が聞こえてくる。

 

 

もうすぐ一瞬で刈り取られて
籾を取られて
丸裸の、真っ白にされて
袋に詰められて
値段がつけられる。

 

 

私はこれから
私を食べた人間の栄養となり
色素となり
その一部となって
その者として生きていこう!

 

 

我は黄金の稲穂なりー!!!

 

 

なり〜〜〜〜〜!!!!!

 

 

ギュイーン。
ザクザクッ。

 

 

 

と、
まあこんな具合で炊きたてではない
弁当のご飯にすら、
このような思いを込めに込めて
食べることが出来ました。

 

 

まだその上に乗っかってる
「わかめ煮」の物語があります。
次のおかずも
その次のおかずも、、、、

 

 

長い食事になりそうです。

 

 

それでは皆さま!
今日も全集中な一日を🌈

 

 

 

〜つづきませんよ〜

 

 

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